"好き"と"関心"を巡る冒険 第三章 Spring-2

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プロジェクトのメンバーが増えてきたところで、
私はバックエンド開発チームのチームリーダーになった。

メンバーのスキルにはバラつきがあったので、
私が先行開発して、見本となるソースコードを書いて、
メンバー達には、それを参考に、同様の機能を作っていってもらうことにした。

私は前職で、新人社員や若手社員と組むことが多くあり、
よくそういうやり方をしていたのだ。

しかし、メンバーの中に、どうしても
パフォーマンスを出せない人たちがいた。

私は悩んだ。

私はずっと、人を育てることが大切なのだと
信じ続けて来ていた。
大学のバイト時代に、元ホテルマンの男性がそれまで振るわなかった男の子を
逞しいウェイターに育て上げたのを見た、あの時から。

だから、「自分がやった方が早い」と言って
後輩から仕事を取り上げて自分でやって、得意げな顔をしている人のことなど、
侮蔑の眼差しで見てきた。

だけど、納期の差し迫る中で、
どう考えても、これでは間に合わない。
納期に間に合わせるためには、
彼らを何とかできるようにするのではなく、私が全速力で作ることが最善だ―――。

私は、マネージャーのO島さんに、すみません、と声を掛けた。
どうしても、彼らのパフォーマンスが出ず、面倒を見る負担の方が大きく、
私がやった方が安全で確実に早いので、外してもらえないか、
そう相談した。

前職の私だったら、絶対にしない判断だった。

なんとかできないか、と一言くらい言われるかと思っていたけれど、
O島さんは、わかった、とあっさり承諾して、
彼らを別のチームに回した。

そうして私は、
メンバーをフォローするスタイルから、
自身が全力でコーディングして、
間に合わないところをメンバーにお願いしていくスタイルにシフトした。

 * * *

少しずつわかっていくのだけど、
大手SIerだった前職と異なり、
人にも開発スケジュールにもそんなに余裕のないこの会社では、
統制を取ることだとか、人を育てることだとか、そんなことよりも何よりも、
「ゴールに向けての最短ルート」
をマネージャーもリーダーも常に選択していく、そういう風土だった。

かといって、人を道具のように扱う冷たい会社というわけでもなく、
私が怒り狂いまくっているような時であっても、
「話を聞けば仕事してくれるの? しゃーねーなぁ。じゃあ、話を聞くよ」
という感じに、声を掛ければ誰でも作業の手を止めて話を聞いてくれるような、
そんな会社だった。

 * * *

このプロジェクトで、私は7年ぶりにがっつりとソースコードを書いた。

前職では、
ソースコードを書くのは若手や協力会社の人にお願いするもので、
 上の人間は管理に注力するべきだ」
という風潮があって、
私自身は、その「管理>技術」の考え方に違和感を感じてはいたけれど、
「上の人間はソースコードを書くのではなく、全体を見渡すべきだろう」とは、
当たり前に思っていた。

ところが、このプロジェクトでは、若手ベテラン問わず、ほぼ全員が、ソースコードを書いていた。
マネージャーのO島さんまでソースコードを書いていた。
「コーディングしてないと、感覚がわからなくなるだろ。
 まぁ、俺じゃないとできないところだけにしておいて、後は任せるけど」
そう、さらりと言っていた。

プロジェクトの中でコーディングしていなかったのは、唯一、
「俺はコーディングには向いてないことに気づいて、数年前に諦めた」
と言う、リーダーのO野さんだけだった。

『作ることそのものに価値がある』
その価値観が、この場所には、はっきりとあった。

7年前で時を止めていた私のコーディングの知識は古かったが、
基礎的なスキルをしっかり身に着けていたおかげか、
コーディングしながら、新しい知識をぐんぐんと吸収していった。

「私はまだまだ、成長できる!」
そんな喜びが湧きあがった。

 * * *

この炎上プロジェクトで、
私は幸せをかみしめていた。

自分が全力で走れることが幸せだった。

全力で走ることが周りの笑顔に繋がることが、幸せだった。

まだまだ技術力を上げていける自分の可能性に気づけて幸せだった。


そして、その幸せが、
”自分が、「こうすべきだろう」と思って、
 これまで取り組み続けてきたことの延長線上になかった”
ということが、私を戸惑わせもしていた。

 * * *

社会人2~5年目の時に携わったプロジェクトで、
自分がやりがいを感じてとても楽しく突っ走っていたら、
ついてこれない周りがどんどんと疲弊していき、
その結果、自分も周囲も色々と辛い思いをしたのが、
私のエンジニアとしてのスタートラインだった。

その経験から、
後輩の育成に力を注いだり、
管理に重きを置く会社の中で、
「技術のわかる管理者」としての路線を進んで来た。
それが、『誰も嫌な思いをしないプロジェクト』を推進するための解だと
疑わなかった。


だけど、それはもしかして、違ったのではないか?

その問いが、私の中に浮かんだ。


7年ぶりにソースコードにがっつり触れてみれば、
じかに触れ続けていなければ、日進月歩で進んでいく技術の世界から
簡単に取り残されることが、はっきりわかる。

少し前に、前職の後輩に会った時に言われた言葉も蘇った。

「今のプロジェクトは全然上が説明してくれなくて、辛いです。
 Satoさんはきちんと説明してくれたので、Satoさんの下が良かったです」

それを聞いた時、私は全然嬉しくなかった。

私が望んでいたのは、私自身が心置きなく全力で走ることだったのだ。
だけど全力で走っていたら、周りが疲弊してしまったから、
じゃあ、私が全力で走るためには…と考えて、
後輩の育成に注力することにしたのだ。

だけど果たして、私のやってきたやり方の先に、
私の目指す景色はあったのだろうか?


プロジェクトを見渡せば、手厚くフォローされている人間など
一人もいなかった。
一人ひとりが、自分のできることを、自律的にやっていた。


かといって、
「管理を捨てて、技術プレイヤーに振り切ればいいんだ」
とは、やはり思いきれなかった。


プロジェクトの途中で、
移行チームのリーダーが潰れてしまった。

彼女の作ったものを引き取って、ソースコードの中身を確認した時、
もっと早くに中身を確認してレビューしてあげていれば良かったなぁと思った。
ソースコードからは、彼女なりに工夫した跡が伺えた。
だけど、スキルが足りず、ひたすら独流で頑張り続けた結果、
いつまでも障害を潰しきることができずに疲弊してしまったのだ。

「あの時、Satoさんにも誰にもそんな時間なかったじゃん。スキルの問題だよ。仕方ねーよ」
リーダーのO野さんはそう言い張り、
仕方ないで済ますな、と言い張る私と喧嘩になった。


全力疾走できるのは、気持ちがいい。
だけど、
「ただ無我夢中で全力疾走」して、誰かが潰れていくのは、
やっぱり私の中で違うのだ。


(つづく)


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